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柴田さんがMLに投稿されたメールは700通以上ありました。柴田さん、いつも真面目に向きあってくれて、沢山の話題を有難うございました。 1998.12.31まで [M&M:]2000.11.10まで[MM:] それ以後は[muramati:]
by senkaze
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2005.8.1 [muramati:3047] Re: 相対主義

柴田です。

信仰と科学とを対立させなくていいんじゃないの?
この前久しぶりに数学の教科書を見て「正法眼蔵」とよく似ているのにびっくりしたけど、昨日久しぶりに数学を少しやってみて、「正法眼蔵」を読むことと全く同じだと感じた。
ぼくは数学が苦手なんだよね。
なぜ苦手なのかはよくわかる。
いろんなことがじゃましてるの。
同時に細かいところをきちんと確かめてゆこうという根気に欠ける。

人間って自分に才能がないと思い込む。だから勉強して才能を身につけるんだと考える。つまり能力は外から取り入れるんだと思う。
違うんだな、これが。
自分の能力をじゃましてるものが自分にたくさん詰まってるんだ。
じゃましてるものを取り除いてゆくのが能力を出してゆくことなんだ。
ぼくはこれを自分の創作の仕事の中で実感してきた。

数学も、知らなかったことを知るおもしろさである程度やってきた。でも難しくなってくると、解けない問題が多いんで嫌になってしまう。そういうことを繰り返していた。
うすうす感じてはいたけど、昨日はっきり感じたのは、いろんなものがじゃまをしているということ。
何がどうじゃまをしてるかまではわからないけど。

「正法眼蔵」の中に「解脱」とか「脱落」とか「脱」という文字がよく出てくる。脱いだり捨てたりすることでしょ。
よけいなものがいっぱい詰まっているのを捨てるってことだよね。
自分にとって数学はまさしくそうだし、このごろ悩んでいた仕事の壁もそうだと思う。
同じような仕事してる友達相手にこないだぼやいたんだけど、20年以上こういう仕事やってると、新しい発想が生まれにくいのよ。生まれようとしても経験がすぐにそれを<やってもだめだ>と否定してしまう。かといって経験を捨てて無知になるということは無意味だと思う。
これはつまり知らない間にいろんなものがじゃまをするようになってるんだよね。

<じゃまをしてるものを捨て、根気よく続ける>というのは道元が修行の仕方として「正法眼蔵」で繰り返し言ってるんだよね。
このやり方で仕事の壁も破れるんじゃないかと思ってる。
しばらく前、「正法眼蔵」を読み始めた頃、いろんな物事に対して今までとは違った柔軟かつパワフルな見方をするようになっていて、話をしていて女房がよくおどろいた。そういうとき「Powered by道元」 とぼくは言った(^^)。

ぼくは道元を讃える。
これはぼくが信仰をしているということかね?
異論があると思うけどぼくには信仰というのはある時点で探求をやめることだと思う。道元は無限の探求を万人に勧める。そのことによって人間は平穏に平和に和解して生きられる。これは人間の生き方の理想に近い。
それが信仰なんだと言われれば、そりゃうれしいね、とぼくは言うよ。
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和紙のデザイナー・柴田恒雄
ホームページ:www.toyo-tv.ne.jp/shibata/
ブログ:http://hikarinoha.exblog.jp/
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by senkaze | 2007-07-03 17:57
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